昨今、「あおり運転」に関するニュースが多く報じられている。いうまでもなく、あおり運転は重大な傷害や命を奪う可能性のある大変危険な行為だ。現行の法律では直接あおり運転を処罰することができないとのことだが、そうであれば是非法改正でもなんでもやってもらって、厳罰にして欲しい。
[※令和2年(2020年)6月30日から施行される改正道路交通法で、いわゆる「あおり運転」が「妨害運転」として明確に違反行為として規定された。 免許取り消しとなるとともに、最高で5年以下の懲役が科せられることとなる。]
さて、あおり運転の状況を見てみると、どうも「追い越した」「追い越された」がきっかけになっているケースが多いように思う。人の本能的な闘争心とでもいうのであろうか、特に追い越された場合、「追い越された = 負け = 悔しい」のような感情が湧くのであろうか。
この「追い越す」「追い越される」という表現だが、より口語的に言う場合は「抜く」「抜かれる」となるだろう。ところが、巷ではなぜか、
抜かす・抜かされる
という表現をよく耳にする。 筆者が初めて「抜かす」という表現を聞いたのは、1990年代だろうか、職場の先輩が使っていた記憶がある。少なくとも30年以上は前から使われているようだ。 な、なんだよこれ…。こんな言葉はない。誤用である。
別に「あの車抜いちゃえ!」や「あぁ、初心者マークの車に抜かれた!」でいいではないか(話している内容はよくないが)。なぜわざわざ誤用である「あの車抜かしちゃえ!」や「あぁ、初心者マークの車に抜かされた!」を使うのか(繰り返すが、話している内容はよくない:-p)。
筆者を含めた「『抜かす』を使わない」側の分析はこうだ。
- 本来は「抜く」「抜かれる」が正しい。
- ここに「負かす」「負かされる」的な意味が込められて「抜かす」「抜かされる」となった。「抜き去る」というようなニュアンスも込められているのかもしれない。
- 他に似た響きの単語がなかったので、すっかりこの誤用が広まった。
「抜かす」は一部地方の方言という説もあるようだが、いずれにしても誤用であることは明らかだ。懸命な諸兄は、普通に「抜く」「抜かれる」を使おう!
令和元年8月30日 初出
令和元年10月15日 移設
令和2年7月1日 改訂