じいじ・ばあば

親子3世代同居というライフスタイルが過去のものになって久しい。「核家族」なる言葉も、今や核家族の方がデフォルトなので、逆に言わなくなってしまった。

筆者が子供の頃過ごした家庭は、当たり前のように3世代同居だった。必然的に祖父母の存在が身近にあった。祖父母にとって孫はかわいいものらしく、筆者も祖父母にはかわいがってもらった。そんな「おじいちゃん」「おばあちゃん」が大好きだった。

父母や祖父母のことをどう呼ぶのかは各家庭それぞれだろう。父母は「おとうさん」「おかあさん」が標準的だろうが、筆者が子供のころでも「パパ」「ママ」というのも比較的多かったように思う。「おとうちゃん」「おかあちゃん」も少数ながら存在した。高度経済成長期で洋風な生活様式が「おしゃれ」とされたのも一因だろうが、「パパ」「ママ」は比較的早い段階で市民権も得ていたように思う。

ところが、である。祖父母に関しては、「おじいちゃん」「おばあちゃん」が一般的で特に変化はなかったように思うのだが、最近は、

じいじ・ばあば

などという呼称が広まっているらしい。筆者の身近でも甥・姪の世代で「じいじ」「ばあば」と呼んでいる層がいるが、当初その家庭ローカルなもの、または地域的なものだと思っていた。ところが、テレビの全国放送のインタビュー等で子供が「じいじ」「ばあば」と当たり前のように呼称しているのを見ることが多くなるにつけ、どうやらこれは全国的な傾向なのか? と感じるようになった。

各家庭で、父母や祖父母の呼称をどうするかは自由だとは思うものの、なぜわざわざそのような呼称をするのか理解に苦しむ。この傾向はまだ小学生とか比較的年齢の若い層のもののようだが、今にいい大人も「じいじ」「ばあば」と言い出すんじゃないかと危惧している。

「じいじ」「ばあば」は響きもやさしいし、親しみを込めてそう呼称しているのだろう。または、親や祖父母本人が、そう呼ぶようにしつけているのかもしれない。いずれにしても、どうも子供っぽい印象は拭えない。「車」を「ぶうぶ」と言っているような感じがするのだ。

核家族がデフォルトになった現代では、祖父母の存在が身近でなくなり、夏休みとかに会いに行く、たまに会うだけのやさしいおじいさん・おばあさん、というくらいの認識なのだろうか。また、当の祖父母も、昔の「おじいさん(おじいちゃん)」「おばあさん(おばあちゃん)」に比べて随分と若々しく、「『おばあちゃん』なんて呼ばないで!」ということもあるのだろうか。

「おじいさん(おじいちゃん)」「おばあさん(おばあちゃん)」という言葉は、「親の親」という関係性の意味と、「年をとった人間」という生物的な意味の両方を持つ。(「おとうさん」「おかあさん」は関係性の意味しか持たない。) 後者の意味とも捉えられるからこれを忌み嫌う人がいるのも理解できるが、かわいい孫の手前、そんなつまらないプライドなどどうでも良いではないか

100歩譲って、家庭内でどう呼ぶのかはその家庭の自由にすれば良い。しかし、第三者に言う場面では「おじいちゃんの家に遊びに行きました」と言うようにしませんか?

令和元年9月3日 初出
令和元年10月15日 移設