令和元年(2019年)7月18日 の「京都アニメーション放火事件」では、優秀なスタッフが多数亡くなった。理不尽極まりない事件だ。日本製のアニメはその内容・技術において、国内だけでなく海外でも高く評価されており、もはや日本の代表的な文化・コンテンツのひとつと言っても良いだろう。それだけに今回の事件は社会的にも大きな衝撃を与えた。
アニメといえばその「絵」だけではなく、効果音や音楽等も重要な要素だろう。特に、登場人物を演じる声優の役割は大きい。
筆者はとりたててアニメファンということもないが、最近はアニメやその登場人物(キャラクター)以上に、それを演じる声優そのものに人気があるらしい。そういった理由からだろうか、アニメのテレビCM等では、キャラクターを演じる声優名も登場することが多くなった。例えば「山田太郎」さんという人気声優がいたとすると…
CV: 山田太郎
な、なにこれ!? なにやら謎の「CV」という表記。どうやら「声優」のことを勝手にこう表記しているようなのだ。「声優」というより「声」という感じか。この「CV」は「Character Voice」の意味らしい。はぁ…
「勝手に」というのは賛否あろうかと思うが、「CV」とだけ表記して、それを「Character Voice」のことだと言うのは無理があるだろう。アニメ業界では既にそういう表記が使われているのかもしれないが、一般人からすれば全くピンとこないし市民権も得ていない。恣意的な表現を勝手に使っている。
おそらく「声優」や「声」と、「CV」では微妙にニュアンスが違う、と言いたいのだろう。善意に解釈してあげれば、
- 「声優」だと、その声を担当する人そのものな感じがする。
- 「このキャラクターの声を担当するのは」という意味の表記が欲しい。
- それならば「声」でいいのだが、ただ「声」だけでは味気ないし「…を演じるのは」的なニュアンスが弱い。もっとこうシャレオツな記号的な用語が欲しい。
- 「キャラクターの声」だから「Character Voice」で、それを略して「CV」でいんじゃね?
とまぁ、こんなところだろう。
アニメ業界の中でとか、アニメ雑誌の中で使う分には全く構わないと思うが、それを使うのがあたかも当たり前のように「勝手に」解釈して、何の説明もなく市民権も得ていない用語を使うのはどうかと思うのだ。筆者などは、別に「声」でいいじゃん、と思うのだが…。普通に「声: 山田太郎」にしようよ…orz
これに限らず、平成・令和にかけて、いろんなコミュニティーがそれぞれ「勝手に」内側に小さくまとまっているケースが増えたような気がする。いい意味では「お互い余計な干渉をし合わないで自由にやろうよ」的なのだが、悪い意味だと「他のコミュニティーのことなんか知ったこっちゃない」という、 なんだかとても独りよがりな感じがするのだ。 戦後の行きすぎた個人主義の団体版のような風潮がはびこってしまっているような気がして暗澹たる思いがする…ちょっと大げさだろか。
令和元年8月30日 初出
令和元年10月15日 移設